秘境と平家の落人伝説

秘境と平家の落人伝説

日本の秘境100選の中に選定されている場所に、初めて聞いた場所もあればあそこが秘境とは思えないという場所もあったかもしれませんが、秘境に選ばれるだけあって知らない場所の方が多いのではないでしょうか?!秘境といわれるだけに、かなりアクセスが悪い場所だったり昔からあまりの悪路のために、周囲からはかなり断絶されたような状態場所であったりするケースが多くあります。

そして秘境だけに伝えられているのが、神様が住むという場所が多くあります。神話が生きているということは、神々しい雰囲気と信仰の対象となる山があるケースが多くなっています。そして多くあるのが「平家の落人伝説」です。川俣温泉や湯西川温泉も「平家の落人伝説」がある温泉地ですが、秘境100選に選定されている土地にも平家の落人伝説が伝わる場所がたくさんありました。全国各地に「平家落人伝説」がありますが、全国でみてみるとどんなとこに「平家の落人伝説」があるのでしょうか。

日本の難民となった平家の落人

平家といえば壇ノ浦の戦いが有名ですが、平家一門だけが逃げたのではありません。平家方に味方して落人となるケースもあるので全てがすべて平家の落人とはいえません。落人となったのは武士ばかりではないので、平家方の人が落ち伸びたケースももちろんあります。実際に平家一門が落延びたという伝承もありますが、平家方に味方した武士のケースももちろんあります。

そのため、平家の落人を研究している学者達の中にも、証拠が少ないことが指摘されたりある学者が平家の落人の存在を肯定すれば、別の学者が否定しているケースなどもあります。

「平家の落人」伝説が伝わるのには、源氏と平家とが対峙した源平合戦で「一ノ谷の戦い」「屋島の戦い」そして「壇ノ浦の戦い」ち平家方は、連戦連敗を繰り返しました。そしてその連敗していく中で発生した平家方の難民で、残党の追っ手から逃れた人たちが落人となり各地に潜んでいたことで様々な伝承が伝えられるようになりました。

平家の隠れ里は?!

平家の落人伝説が残っている場所は、大抵が山の奥深くであったり離れ島そして孤島などに平家の落人伝説が存在しています。どうやら平家は、人口が少ないところや山間部や谷間といった人がよりがたい所に里を築いていたと考えられます。

食器や生活用品を洗ったりする時に、間違って川に流してしまったり山の中に落としてしまったりしたことで、外部の人間に「あんたところに人が住んでいる・・」と気づかれたりすることがあります。ただし、気づくのはごく少数だったので、平家の落人の隠れ里にいけるのも少なくなっています。このような場合、ふたたび隠れ里に行くことができなかったり川上から漆塗りの器が流れてきたりすることから、隠れ里自体をとても神秘的に思われる所以になります。

東北地方の平家の落人伝説

天皇山:青森県つがる市木造越水
安徳天皇が落ち延びたという伝説が残っています。
宮城県仙台市青葉区定義地区
平貞義が落ち延びたと伝わっていますが、源頼朝に助命を嘆願して認められたため、その後の消息が不明にあっていることから、伝説が残っているのかもしれません。
鳥海山麓:山形県酒田市
平家方として落ち延びた池田彦太郎秀盛兄弟が、こちらへ隠れ住んだと伝わっています。そして秀盛の後裔と称する氏が、戦国時代の土豪として存在していて、最上氏などの家臣となっています。
福島県南会津郡檜枝岐村
平家方として落ち延びた平氏・藤原氏の者が土着して、星姓や平野姓を称したといわれています。

関東地方の平家の落人伝説

古分屋敷:茨城県久慈郡大子町
平家方についた大庭景親の残党が落ち延びた伝承があります。ただし武者ではありません。平家方に随身した武将の姫とされていて、古分屋敷にその子孫は10軒の家を構えたとされています。2人の姫と土着した子孫の姓は桐原氏、神長氏ということです。桐原氏は坂東八平氏のひとつで鎌倉氏の流れを汲む大庭氏の血筋で、神長氏は藤原氏だということです。そしてこの二氏ですが、佐竹氏の家臣としても存在しています。
栃木県那須塩原市上塩原
平貞能が平重盛の遺族と、ともどもに宇都宮頼綱を頼ってきた地だとされています。平貞能が宇都宮頼綱に庇護されて、鎌倉幕府もそれを認めたことは吾妻鏡にも残っている史実です。ところが平貞能と重盛一族の行方は、同時代の史書には残っていません。江戸時代の史料によると、平貞能はこの近辺の寺を巡礼して92歳で病して没、湯西川の平忠実(重盛:六男)は、塩原から更に奥地の湯西川に到達した一族を統率して、湯西川を開拓したとされています。
栃木県日光市川俣
平藤房(または藤原藤房ともいわれている)たちが落ち延びたとされていて、大将塚・平家杉といった史跡も散在していますが平藤房としての人物の史料は残っていません。
栃木県日光市湯西川:湯西川温泉
平忠実または平清定の子、平景定が落ち延びたとされています。湯西川の平家の落人伝説は、湯西川温泉にある平家落人民俗館や平家の里などでも紹介されています。また平家大祭といった行事も行われています。こちらの落人は、平家の者ということが分からないように苗字を「伴」としたとされています。「伴」の人偏は「人」を表して、右の「半」は上部の点を半の横線の間に移して、半の一番上の横線から飛び出た部分を消すと「伻」という字になります。それは「平の人」になるので、平家血縁者だということを示ています。そして今も「伴」という苗字の平家の子孫が湯西川温泉の土地に存在しています。独自の風習が残っていますが、これは人が山中に暮らしていることを外部の人にわからないようにするためです。
群馬県利根郡片品村
関東では最北に位置する落人伝承が残っている村になります。あちこちで敗れた平家一門ですが、尾瀬にも近く、そして片品村に至るまでも険しい山々が連なる場所まで逃げた結果、片品村に平家の落人が住み着きその地で繁栄することになりました。

中部地方の平家の落人伝説

新潟県佐渡市相川地区
平安・鎌倉時代前期の武将長谷部信連、通称長兵衛尉が落ち延びたとされている伝承が残っています。
五箇山:富山県南砺市
倶利伽羅峠(くりからとうげ)の戦いで敗れた子孫という説や、源義仲に敗れた平維盛の子孫が住みついたという説があります。そしてこの話を元にしているのが「むぎや」です。
石川県輪島市
平時忠が配流となって、その子孫が上時国氏となり下時国氏を興しました。
山中温泉:石川県加賀市山中温泉真砂町
平安時代の皇族で惟喬(これたか)親王を奉ずている木地師(きじし)の集落です。そしてこの集落で作られたのが山中漆器の源とされています。
福井県福井市赤谷(あかだに)町
平維盛が父の所領だった越前国に落ち延びて、山伏の修行場所であった赤谷に隠れ住んだという言い伝えが残っています。維盛は赤谷で約30年間生きて、次第に血筋が増えて、やげて一つの村になったといわれています。宮中の流れをくむという風習が、現在も受け継がれています。
福井県越前市五分市(こぶいち)町
五分市町にある城福寺は、平保盛が鎌倉時代に建立していますが、このお寺の住職を務めているのは、今でも平家の子孫です。後におきた平家追討の中で、保護されたのは池禅尼の尽力によるものだと伝えられています。
福井県大野市西谷地区・和泉地区
この地域では、あちらこちらの集落に平家の落人伝説が残されています。ダム建設で消滅集落になったり、集落の住民の高齢化で過疎化した集落も多くあります。その中でも特に大野郡西谷村(現:大野市西谷地区)では、全住民が離村したため、1970年6月30日で廃村となりました。西谷村には平家の落人にまつわる「平家踊」や「扇踊」が伝わっていて、村が廃村になったいまでも、旧村民が大野市内で踊りを続けています。
長野県伊那市長谷浦
檀ノ浦の戦いに敗れた平維盛の子孫が住み着いたと言われている。維盛の父である平重盛が小松殿と呼ばれていたことから、小松姓を称した。檀ノ浦の「浦」が地名となった。
長野県下水内郡栄村秋山郷
新潟県中魚沼郡津南町の一部にも平勝秀が落ち延びたとされています。
静岡県富士宮市上稲子(かみいなこ)
紀州で入水したという伝承が伝わっていて、同地には平維盛のものとされるお墓が伝わっています。現在の墓は再建されたもので天保11年(1840年)に再建されています。

平家の落人伝説が伝わる秘境の温泉をご紹介しましょう

平家の落人伝説と落人時代の習慣が、未だ残る秘境の温泉地のひとつに奥鬼怒温泉郷があります。秘境の温泉宿を尋ねるには、アクセスが悪いのが普通で、徒歩で3時間歩いていくしか手段がない宿もあります。秘境の地といわれるところには、平家の落人伝説がたくさん残っています。源氏から逃れるために人里離れた場所へ逃げ、そこで暮らしていたのでしょう。平家落人伝説が残っている土地と、秘境選定100をご紹介していきます。